建物以外の変わらない風景
旧呉鎮守府司令長官官舎 ※国の重要文化財
 最初は1890年に洋風木造総2階建の軍政会議所兼
水交社として建設され、1892年から長官官舎として
利用されました。1905年の芸予地震で崩壊してしま
いましたが、同年にその廃材の一部を利用して建て替え
が行われ、1991年〜1995年にかけて調査・解体
・修復を行い、建築当初の姿に復原した現在の姿となっ
ています。現在の建物は木造平屋建てで、洋館部と和館
部で成り立っています。

洋館部は、外観にイギリス風ハーフティンバー様式を
採用し、屋根には宮城県雄勝産の天然スレートを使用して
魚の鱗のように葺いています。玄関のドアには海軍錨と桜
のマークをデザインしたガラスが使われています。内部の
壁や天井には、金唐革に似せた高級擬革紙「金唐紙」が使
用されています。
和館部は、呉鎮守府司令長官とその家族の住居として使用
されました。畳廊下を境に表と奥に分かれた間取りとなっ
ています。座敷は畳廊下や縁側で結ばれており、床の間や
違い棚、付書院などが設けられています。壁は土壁で、聚
楽または漆喰仕上げになっています。

〜被爆の記憶を語り継ぐ〜

2017.06.09

猿猴橋(えんこうばし)の復元

同じ形をした3つの蔵
 昨年の秋に戦時中の呉を舞台にしたアニメーション映画「この世界の片隅に」が公開されま
した。戦争そのものではなく、日々の生活に焦点を当てた作品で、映画の監督とスタッフは現
地に何度も足を運び、当時の街並みを可能な限り再現したそうです。そのため、映画には今も
呉の町に残る風景がいくつか描かれています。
今回は映画に登場した建物と場所、呉にある古建築を紹介したいと思います。

2017.08.10

映画の地を巡って

国立病院機構呉医療センター前の階段
 呉海軍病院があった場所です。呉海軍病院は1889年
に創設され、戦後は1956年に国立呉病院として発足し
ました。現在は国立病院機構呉医療センターになっていま
す。海軍病院時代の建物は原型を留めていないそうですが
階段は当時の姿を残しています。

洋館部外観
〈ペデストリアンデッキ〉
旧澤原家住宅(三ッ蔵)※国の重要文化財
 19世紀初頭から庄屋などの要職を代々務めた澤原家の
住宅です。主屋、前座敷、表門、元蔵、三角蔵、三ッ蔵、
新蔵、附(中門、社、土塀、塀)で構成されています。
江戸時代中期から現在に至るまでにいくつかの改造を行い
ながら活用し、保存された貴重な建物です。
写真の三ッ蔵は1809年に建設されたもので、映画の中
にも登場します。裏側はなまこ壁になっています。
 新幹線改札口へのアクセスもまだ改修工事中ですが、だいぶ分かりやすくなっています。
もうすぐ開通して半年が経ちますが、先日出張で新幹線を利用することがあり、改めて
『使いやすくなったなぁ』と感じたので紹介させてもらいます。

現在広島で全国的なニュースといえばやっぱり『カープ』ですね!!
駅周辺には優勝を祝う垂れ幕や大きな鯉の絵など、赤一色でとても盛り上がっています。
カープの大ファンである私はよく観戦に行くのですが、勝った時には全く知らない人と喜び
合ったり、負けた時には敗因を語り合ったり。そして最後には「また球場で会おう!」と別
れる・・ここにもまた違う
"繋がり"がありました・・・・・

話は戻りますが、アクセスしやすくなった北口新幹線口周辺にも商業施設が出来たり、複合
施設が建設中であったり、きれいなペデストリアンデッキも出来て以前とは大きく変わって
います。これからどんどん北口も
繋がって賑わっていくのだろうと楽しみにしています。

〈南北自由通路〉
 昔の時代の映画やドラマを見ると今とは別の世界だと感じてしまいますが、現存する建物や
風景を実際に見ると過去と現在は続いているのだと実感します。
建物や風景は長く残っていき、未来の人も同じ風景を見るのだと考えると、現存する貴重な建
物や風景を今の人間がしっかり守って未来に引き継いでいかなくてはならないと改めて感じま
した。
〈高欄パネル〉
玄関のガラス
洋館部の内部
和館部の内部
 「水の都」と呼ばれる広島市内には現在6本の川が流れています。その中で最も東側を流れ
ている猿猴川、この猿猴川に架かる猿猴橋という橋をご存じでしょうか?広島駅から徒歩で
5分程度南に歩くとその橋はあります。かつての西国街道に架かり、広島の「東の玄関口」と
して、広島中心部へ向かう唯一の橋だったそうです。
安土桃山時代に木造で架橋され、1926年(大正14年)にコンクリート製の現在の姿にな
りました。まずは橋の姿をご覧下さい。
〈橋の全景〉
〈大鷹のブロンズ像〉
和館部の外観
■完成予定パース
〈河戸帆待川駅ホーム〉
駅前には、小さな舟のモニュメントがあります。

駅名は「河戸」という地域と、この辺りを流れ太田川に合流する「帆待川」に由来しています。

帆待川には言い伝えがあるそうです。初代天皇と知られる神武天皇が、かつて広島湾の奥深く、
この帆待川を遡り、舟山に登られたというものです。古来、この地域の人々は、帆待川を「神
武天皇ゆかりの聖なる川」として敬い、大事に守ってきたそうです。
〈再開発が進む広島駅周辺と猿猴橋〉
 ちなみに「猿猴」とは「カッパ」の一種のことだそうです。猿に似ていることからそう呼
ばれるようになったそうで、この地域の水神と考えられているそうです。毎年秋には「かっ
ぱ祭」が行われているようなので、私も一度足を運んでみようと思っています。
  〈主な流れ〉

  2003年12月 JR可部線 可部〜三段峡駅間の廃止(約46km)

  2005年 3月 JR可部線電化延伸等連絡会を設置

  2013年 2月 JR可部線電化延伸について、JR西日本と広島市が事業実施を合意

  2016年 7月 JR西日本が駅名を発表(終点駅:あき亀山駅、中間駅:河戸帆待川駅)

  2017年 3月 JR可部線電化延伸開業(約1.6km)

  2022年 春  あき亀山駅周辺に新安佐市民病院開業予定


JR可部線は、広島市中心部と国の特別名勝 三段峡を結んでいましたが、利用客の減少などによ
り、2003年に 可部〜三段峡駅間が廃止されました。

もともと横川〜可部間は電化区間、可部〜三段峡間は非電化区間でした。可部駅の隣の河戸駅は、
住宅街となっています。多くの乗客が見込め、廃止される以前から、可部〜河戸間は電化と増発
が求められていたのにかかわらず・・・。非電区間である可部以北がすべて廃止されてしまいま
した。しかし、河戸駅周辺
住民の熱心な電化延伸運動は続けられ、やっと復活することになった
のです。廃止から、13年以上も経ってしまいました。

廃線になったことで、線路は全部取り除かれていました。もう一度、線路を敷きなおすだけでも、
大変なことです。もう少し、必要かどうかを考えてもらえていたら、
復活に費やされる労力やお
金を減らすことができたでしょう。
新しい中間駅の『河戸帆待川駅』(こうどほまちがわえき)です。

旧河戸駅の可部駅側約300mの位置にあります。
あき亀山駅前は小規模なロータリーになっていて、この周辺に新安佐市民病院建設が予定されて
います。

2017.03.10

「新たな歩道橋〜イサム・ノグチの想いを生かしつつ」

 現在平和大橋を通行すると、平和記念公園側に新しい歩道橋の下部工事が行われています。
平和大橋は平和記念公園の東側に位置し、広島市の東西を繋ぐ元安川に架かる橋です。
彫刻家の「イサム・ノグチ氏」のデザインで1952年(昭和27年)3月に完成しました。
「昇る太陽」「生きる」などの意味が込められた欄干の親柱に特徴がある橋です。
ちなみに約350m西側にある西平和大橋も同じくイサム・ノグチ氏のデザインです。
 これから先、駅周辺はもっと整備される予定になっています。地域住民が便利で住みよい
だけでなく、様々な多くの利用者にやさしい、活気のある街づくりが行われていくことを望み
ます。
 上の写真は復元前の橋の一部です。橋のそばにモニュメントとして保存されています。現在
の橋のような豪華な装飾はなく、石貼りのみのシンプルな姿です。太平洋戦争中の日本では資
源不足により金属類は次々と撤去されていったそうです。猿猴橋の装飾もそのときに撤去され
石貼りのみの姿になりました。その後の原爆投下により被爆した「被爆橋梁」であり、モニュ
メントは被爆の実相を後世に伝える役目を担っています。
また「被爆に耐えた装飾的橋梁」として、平成23年度に土木学会の「土木遺産」に選ばれて
います。

広島駅周辺の再開発により新しい建物が建っていく中、過去の遺産を復元するという取り組み
はとてもすばらしいことだなと思います。
■現在工事中の写真
 平和大橋を通行又は歩行される方は分かると思いますが、自動車等の交通量が多く、車道が
狭い等の理由で自転車の殆どが歩道を走っているのが現状です。
歩道に関しては幅1.8mしかなく、欄干も低いので、歩行者と自転車がすれ違う光景は常に危険
との隣り合わせです。
フラワーフェスティバルの開催期間は「仮の」欄干が設けられているくらいで転落事故がいつ
起こっても不思議ではありませんでした。
歩道橋が国際コンペにより、新たに建設されることは以前より承知していましたが、
なかなか着工しないと思いつつ、気が付けは数年が過ぎ…やっと昨年度から始まりました。
2009年のコンペ案は、近隣住民による平和大橋東端交差点の車道廃止反対意見を踏まえて、
白紙撤回されました。
今回は既存の橋の北側(平和記念公園側)のみ歩道橋を建設するとのことです。
新しい歩道橋は、幅5.7mで歩行者(3.5m)と自転車(2.0m)にレーンが分離し、欄干の
高さも1.1mあり、安全性についても問題なさそうです。
完成は来年2018年度の予定です。
観光客が平和記念公園へ向かうアプローチとして大きな役割を担っている橋…平和大橋デザイン
もそうですが、それ以上に誰もが安心して通行できる橋が完成することが大事です。
地元住民の理解も得られているとのことなので、このまま順調にいけばと願っています。

2017.04.14

祝・JR可部線電化延伸開業 〜再生復活!〜

 2017年3月4日、ついにJR可部線延伸区間が開業されました。JRの廃止路線の一部が
復活するのは全国で初めてだそうで、なにかと注目されています。
最終駅の『あき亀山駅』です。

この辺りは「亀山」という地域です。

旧河戸駅から約500mすすんだ所に位置しています。
〈復元前の橋のモニュメント〉
 橋の両端四隅の親柱には地球儀の上に止まる大鷹のブロンズ像が飾られ、高欄(手摺)には
桃を持つ二匹の猿のパネルが取り付けられるなど、現代の橋とは様子が異なり、大正時代の雰
囲気を感じさせるモダンな橋ですよね。当時のモダンなファッションに身を包んだ人たちがこ
の橋を渡っていたと想像するだけで、とても素敵な風景だっただろうなと思います。
さて、上の写真を見て何かおかしいなと思われた方はいらっしゃるでしょうか。…大正時代に
架けられた橋にしてはやけにキレイだと思いませんか?
実はこの橋は昨年の3月に復元され、架橋当時の姿を取り戻したのです!!

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社員ブログ

2017.10.31

〜繋がる街 広島〜

 私は毎日通勤で広島駅を利用しています。学生の頃から利用しているので、もう十数年利用
していることになります。
そして、ずっと疑問に思っていたことがありました。
『新幹線改札口が分かりにくい・・・』
実際にそういった声も何度か耳にしたことがありました。以前の広島駅は、一度在来線の改札
を通り、連絡通路を渡り新幹線改札口を抜けるか、若しくは広島駅北側の出入口『新幹線口』
から入らなければなりませんでした。
そして、その新幹線口に行くには一度地下に降り、そこから長い地下道を通らなければなりま
せん・・・観光客や外国人の方に何度も新幹線改札への行き方を尋ねられたことがあり困った
ことがありました。

しかし今は解消されつつあります!

2017年5月28日に広島駅南北を横断する自由通路が開通し、南口と北口が"繋がり"ました。